大和秀嗣の歌謡クロニクル
年末長時間スペシャル
山口百恵デビュー30周年記念番組
川瀬泰雄さんを迎えて Part 2
1<川瀬泰雄さんへの質問>
M ♪・・ON AIRした曲です
BG・・MC中にBGMで流した曲です
大 さて川瀬さんにいろいろご質問をメールでたくさん頂いておりまして、
その中からお時間も無いので2,3質問させて頂きます。
まずですね、Tさん。
こちらの方は只今アメリカにいらっしゃって、
ライターをやっている方です。
北海道の新聞にもコラムを書いたりしていて、
当時「天使を誘惑」公開時のキネマ旬報に百恵ちゃんの熱いファン
であるにもかかわらず、すごい醒めた眼で百恵ちゃんの事を見て
書いているコラムを読んだ事があるんですけれど、その方なんです。
川 はい。
大 一つ目。『百恵ちゃんはレコーディングに際して、
どの程度まで準備して望んでいたのでしょうか?。
つまり詞と楽譜は渡したと思いますし、
デビュー当時は作曲家の所へ行ってレッスンを受けたりしたのかも
しれませんが、忙しくなってからはどうしていたのでしょうか?』
川 えーとですね、まぁ全部が全部そうだって事じゃないんですけれども、
まず作曲家が歌ってきたデモ・テープがありますよね、
そういうものって途中で手直しして行く場合があるんですよね。
そうするとメロディが変わっちゃったりするじゃないですか、
それを渡すと混乱しちゃうんですよね。
「ここがこういう風に変わりました」ってまた後で持って行くと
「せっかく前のメロディ覚えたのに」みたいになっちゃうので、
基本的には、中期から後期にかけては録ったカラオケで
僕が全部歌いました。
それで百恵の手に渡るときには、その詞と僕が歌った歌入りを渡して、
オリジナルのメロディがそれほど違ってない場合は、
オリジナルの作曲家の方のテープも一緒に渡しましたけれども。
ある部分百恵の中で僕の歌を基準にして判断するっていう所が
あったんですよ。
・・というのは皆やっぱり持ってこられる方って、例えば谷村さんだったり、
宇崎さんだったり、さださんもそうですけれども、
ものすごい個性の強い方じゃないですか。
そうすると、その歌を聴いてそのまんま歌うと「モノマネ」に
なっちゃうんですよね。
むしろ僕が割合ストレートに全部同じ基準で宇崎さんだろうが、
さださんだろうが、谷村さんだろうが全部僕の声で、
割合音符通りに歌ったやつの方が、百恵自身のなかで自分で解釈して
「こういう風にしたい」ってなって行くんで・・。
だからある時僕がデモ・テープ録ってる所に宇崎さんがスタジオに
いらっしゃって、「あれ、川瀬さん百恵さんに似てきたね・・」って
言ったんですよ。
そうしたら百恵が横に居て「いや、私が川瀬さんに似ちゃったの」って
言った時があるくらい、殆ど後半は僕の歌で・・。
それはもう基本的にはそんなに上手く歌ってなかったりするんですけど・・
当然女のキーだし。そうすると僕のド下手な所は
「ここんとこ難しいから、ちゃんと歌わなきゃ」ってきっと彼女の中の
基準になっていたんじゃないかって気がするんですけど(笑)。
大 なるほどそうでしたか・・川瀬さんが歌ったのを渡していたんですね・・。
川 そうですね、殆どそういう・・。
大 はーっ、もう大変ですね、まず曲のイメージを膨らませて、
発注もして、レコーディングのミュージシャンを集めて、スタジオ押さえて、
歌まで歌ってた・・
川 それで、ミュージシャンってアレンジャーから譜面を渡されても、
自分のパート譜だけ渡されてね、
ギターは例えばこういうカッティングするんだって言っても、
歌が無いとわかんないじゃないですか。
大 そうですよね、雰囲気がねやっぱり・・
川 そうすると僕が歌うことでミュージシャンも
「ああ、こんな感じのメロディなんだ」って・・
要するに元々カラオケの演奏っていうのはメロディが無いですからね。
結局その代わりに・・。
まぁ今はもう大体作った人が一緒に歌ったり、歌い手がその場に来て
一緒に歌ったり・・っていう録リ方してますけれども。
その当時は意外とそういう事してなかったんですよね。
だから初めて聞いた人は、メロディ知らないままオケ録って帰る、
みたいな・・。
あとでレコードが出た時に「あっこれこんな歌だったの」っていう
ミュージシャンが結構いたんですよ。
それが嫌だったんで「とりあえずじゃあ僕メロディ歌うよ」って所から
スタートしちゃったんですけれども。
それがそのまんま渡ったら次からもう「じゃあそれちょうだい」みたいな事
なんで、ずーっとそういう事が繋がってましたね・・。
大 そうですか・・全部歌ってた・・すごいですね・・
川 詩が全部出来上がってる時は詩で歌ったし、
詩がまだ出来上がってない時は「ラララ・・」とかで歌ったりして
渡してましたね。
大 じゃあ「その時の先生は誰ですか?」って、これ川瀬泰雄さんだそうです。
川 先生じゃないですよね・・反面教師かもしれないですけどね(笑)。
大 (笑)。もうひとつ、『いわゆる百恵節というか引っ張るような歌い方、
例にすると♪な〜ぜ〜 あ〜い〜されちゃ〜いけないの〜、の様に
「い」を引っ張る様に歌う。自然にそうなったのですか?』
川 それはねぇ、その例の曲はちょっとよく覚えていないですけれども、
やっぱりその曲、その曲で歌い方ありますから・・。
こうやった方が印象的だな・・とか、こうやった方がその言葉の意味合いが
出るなっていった時に意識してやってもらったり・・。
もうその時、その時で全然違いますね。
大 すごい細かく観察しているんですこの方。
『私とあたしを分けて歌うようになったのは、百恵ちゃんのアイデアですか?
それとも誰かのアイデアでしょうか?』
川 ああそれは作詞家と話し合って「ここは”あたし”にしよう」とか・・
大 あ、やっぱりそういう話し合いがあったんですか。
川 ええあります。「この場合は”わたし”で行こう」とか。
「もうちょっとざっくばらんに”あたし”って言っちゃおうよ」とか・・
それはもう毎回その「私」っていう詞が出てくる度に
そういう話合いがありますね。
大 そうなんだそうです・・・Tさん素敵なご質問ありがとうございました。
僕も勉強になりました。
さて、今度はKさんという方神奈川県の方です。
『百恵さんが現役なら今頃シャンソンを歌っていたかもしれません。
シャンソンならどんな歌 を歌って欲しかったですか?
僕は百恵さんの声で"パダム・パダム""群衆""インシャラー"等が
聴いてみたかったです。』
シャンソンで何かこういう歌って思いつくものありますか?
川 いや僕はちょっと・・思いつかないですね・・。
大 でもよくなんとなく「一恵」の雰囲気がシャンソンを思わせるとか
言われますけど、どうなんでしょうかね・・。
川 それはたぶん谷村さんと知り合ってから、
割合シャンソンっていうのに興味持ってた時期ありましたから、
そういう歌も歌ったかもしれないですけれども、
全部そっちの方向に行くって事はありえないと思いますね。
大 という事だそうです、Kさんありがとうございます。