大和秀嗣の歌謡クロニクル

ゴールデン・ウィークスペシャル

川瀬泰雄さんSelection
百恵Album Number 
<2004年5月5日放送「百恵回帰PART2」>


1<横須賀サンセット・サンライズ>

M ♪・・ON AIRした曲です BG・・MC中にBGMで流した曲です

川・・・川瀬泰雄さん  大・・・大和秀嗣

阿木耀子 作詩 宇崎竜童 作曲 川口 真 編曲

78 12/21 発売 16thアルバム「二十歳の記念碑 曼珠沙華」





大 お送りしております、ゴールデン・ウィークスペシャル「百恵回帰part2」。
  年末の放送に続きまして今日は3時間スペシャルでお届けさせて頂いております。
  さていよいよここからは、年末に横浜からいらして頂きました川瀬泰雄さんに生で
  全世界百恵ファンの皆様のために電話でご出演いただきます。
  お電話繋がっておりますでしょうか、もしもし・・

川 もしもし

大 川瀬さんでいらっしゃいますか?

川 川瀬ですどうもこんにちは。

大 お久しぶりでございます、大和です。

川 どうもご無沙汰しております。

大 年末にはわざわざいらして頂きまして、本当にありがとうございました。

川 いいえ、とんでもないです。

大 今日もまたあたたかいお気持ちで引き受けて頂きまして、本当に感謝致しております。

川 (笑)

大 あの、年末の放送の時にカナダからのメッセージが届いていたのを覚えていらっしゃいますでしょうか?

川 はい

大 あの方から今日も先ほどお電話頂きまして、「頑張ってください」とメッセージを頂いております。

川 ああ、そうですか、すごいですね。

大 ネットで全世界、全国で今日聴いて頂いている方も多いと思いますので、今日はよろしくお願い致します。

川 ええ、こちらこそお願いします。

大 さて今日は私のお願いで川瀬さんに選曲して頂きました百恵ちゃんのアルバムナンバーを、
  川瀬さんのお話と共にこの後約1時間お届けさせて頂きたいのですけれども、
  まずは1曲目早速ご紹介させて頂いて宜しかったでしょうか?
  それでは78年のアルバム「曼珠沙華」から選んで頂きました、阿木耀子作詞宇崎竜童作曲
  川口真アレンジ「横須賀サンセット・サンライズ」。



M 横須賀サンセット・サンライズ


大 川瀬さんお送りさせて頂いておりますけれども、
  これは17才での「横須賀ストーリー」、18才の「I CAME FROM横須賀」そしてこの二十歳の記念の  
  「横須賀サンセット・サンライズ」とファンの間では『横須賀3部作』と言われている作品で
  ありますけれども、この曲はどういった点がお気に入りなんでしょうか?


川 あの、僕も横須賀からすぐ近くの横浜で、横須賀のすぐ隣ですから僕がよく釣りに行く場所
  だったんで(笑)その辺の景色っていうのはね、たぶん百恵が見ただろうなという景色は
  なんとなく全部昔から知っているんですよ。
  横須賀って僕も何かこだわりがある場所なんですよね。


大 ああ、そうですか・・

川 昔バンドやっていた時に横須賀って米軍キャンプがたくさんあって、バンドが出る場所がたくさん
  あったんですよ。
  そういう所にも出てたこともありますし、丁度ベトナム戦争の頃だったんですけれども、そういう兵隊
  相手にバンドをやってましたんで。

大 ああ・・その時の景色がこう・・見えてくる。

川 そうですね・・二十歳の記念碑の時も『3部作』っていう風には区切っていなかったんですけれど、
  なんとなく「横須賀シリーズのうちの一つ」っていう感じはありましたよね。


大 この「横須賀シリーズ」は百恵ちゃんは必ずといっていい程コンサートで歌っているんですよね、
  引退コンサートでも歌っておりますけれども。
  17才では百恵ちゃん等身大の「横須賀ストーリー」、18才では自分を見つめ直して「I CAME
  FROM横須賀」、20才になって少女時代の思い出と今振り返る「近くて遠い思い出の街」と
  歌われておりますよね。


川 たぶん阿木さん宇崎さんも「横須賀ストーリー」の時には百恵を知らなかったと思うんですよね。 
  それで想像だけで作ったと思うんです。その後からは百恵を知ってくれて作ってると思うんですよね。
  百恵本人を知って、本人の性格を知って、それで本人と横須賀の関係みたいなのを歌っていってると
  思うんです。

大 なるほど、そういうところあるかもしれませんね。

川 だから多分阿木さん宇崎さんの方の意識も「横須賀」と「百恵」に対する意識で変わっていってると
  思いますし、阿木さん宇崎さんも横須賀っていうのはこだわりを持ってる街だと思うんです。
  あの人達も横浜だったり、宇崎さんもバンドやってましたからね。当然キャンプとか行ってると
  思うんですよ。

大 そうですね、「横須賀ストーリー」を書く時点で宇崎さんは「なんで横須賀の出身なのに、横須賀の歌
  うたってないんだろう」と、
  それで「横須賀ストーリー」をお作りになったっておっしゃってましたから、横須賀というところにこだわりが
  あったかもしれないですね。


川 そうですね、やっぱり僕達が青春時代・・横浜・横須賀あたりに住んでいると米軍の影響力って
  すごい強いんですよね。
  軍隊の影響力っていう事じゃなくって町並みがものすごい洋風なんですよ。


大 看板とかもそうですね。

川 そうほとんど英語だったり、例えばカウンターのバーだとか、
  コカ・コーラが無い時代にもその辺にコカ・コーラが転がってるだとか、
  そういう時代でしたから僕達子供の頃ってコカ・コーラを始めて飲んだ時「薬だ」と
  思いましたから(笑)・・


大 よく皆さん「薬くさくて初めは飲めなかった」とか言いますね。

川 それが割合子供の頃から馴染んじゃうみたいな変なこだわりもありましたんで。
  宇崎さんと僕と殆ど年同じくらいなんでね・・

大 そういった匂いがこう・・「横須賀」の作品には詰まっているんですね。

川 そうですね「横須賀」ってやっぱりすごい愛着があって・・

大 横浜や横須賀で育った方は「横須賀」という響きだけで「うわっ」と何かこう・・じわっと感じるものが
  あるんでしょうね・・
  そういったものが作品に出てるのかもしれませんね。


川 ファッションなんかでも、「横須賀マンボ」なんてズボンを細くつめてね昔「マンボズボン」なんて
  言ってたんですけど、特に細くつめたのを「横須賀マンボ」って言ってたり、ジャンパーも「スカジャン」
  って言いますよね、後ろに龍の絵が書いてあったり虎の絵が刺繍してあったり、富士山が刺繍してあったり
  みたいな・・サテンに生地かなんかでね。
  若いその当時の「ロックン・ローラー」みたいなファッションなんですけれども、みんなそういうの着て
  リーゼントしたりっていう、そういう時代だったんですよ。
  妙に「横須賀」って言うとそういうエキゾティックっていうか洋風なイメージもどこかにあるんですよね。


大 「I CAME FROM横須賀」の歌詞にもありましたね「横須賀マンボ・Tシャツ」っていう言葉が。

川 ああ!ありますね。

大 やっぱりそういった阿木さんと宇崎さんの「横須賀」に対するそういった思いも詰まっているんですね。

川 そうですね、その辺はもしかして百恵本人よりも・・(笑)

大 (笑)思いが強いかもしれませんね・・

川 そうですね・・





          










大 なるほど・・ちょっと話はずれるんですけれども、この曲の中で百恵ちゃんが「ハァー」という
  ため息を入れてますよね。
  平岡正明さんの「山口百恵は菩薩である」という著書の中の宇崎さんとの対談の中でね、  
  「ハァーと言わせた時に、『ちょっとハァーと言ってみてくれる?』と言っただけで
  もう匂いたつような「ハァー」というのが出て来る、これはまぁ元々持っているものなんだろう」って
  おっしゃってましたけど、
  この二十歳の時点で山口百恵というのは成熟しきったというか・・
  レコーディングで歌っている所を見ている川瀬さんとしては、この頃の二十歳の百恵さんは
  どんな感じでした?


川 僕は年齢が丁度ひと回り違っていたんですけども、少なくともその差は全然感じて無かったですね
  一緒に仕事してて。
  っていうか僕が幼かったのかもしれないんですけど(笑)。
  僕ずっと精神的に「ピーターパン症候群」ですから(笑)大人に成りきらない所あるんですね・・。
  一緒にやっていた金塚さんに言わせると「川瀬さんは大人にならないままボケちゃうんだ」って。

大 そんな風におっしゃるんですか。でも金塚さんも川瀬さんのお話によると、
  とても楽しい方でいらっしゃいましたよね。


川 ええ、あの人はねぇ、子供の時からボケてる人なんですよ。

大 (爆笑)
   じゃあ子供の時からボケてる金塚さんと、大人に成りきれない川瀬さんと、大人に成りきってる百恵ちゃん
   という感じですね・・(笑)


川 そうなんです・(笑)だから精神年齢的には近いところがあったみたいですよ。
  だから本当に当然ディレクションするという事はある程度歌い方とか指導したりはするんですけれど、
  その指導しているときでも指導するっていうより一緒に考えるっていう感じの方が
  多かったですよね。

大 ああ、なるほど一緒に作り上げていくという・・

川 たとえばその時ため息の「ハァー」っていうのはどうだったか憶えていませんが、たぶん一回
  やって「アー」って言ったかもしれないし「アー」じゃなくて空気だけ聴こえるようにしようよとか
  って・・そういう作り方してたんですよ。最初からこっちが「ハァー」って行ってくれとかみたいな事
  ではなくて・・。だから常に歌い方なんかでは一緒に考えてましたよね。
  例えば「じゃあこんな風に歌ってくれ」って百恵がまたブースの方に戻って来て、「こっちの方が
  いいね」とか「こういう歌い方しようか」とか・・

大 やっぱり一度録音した物を何回か聴いて・・

川 そりゃもう最初にパーンってやった時によければそのまま「ああ、いいね」って
  OKになっちゃいますけど、それはケースバイケースで・・


大 一緒に作り上げていった・・

川 そうですね、常にそうでしたね。

大 貴重なお話をありがとうございます、さてCMの後も川瀬さんに選んでいただきました作品を
  続々お送りさせて頂きますので、この後もよろしくお願い致します。





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