「百恵回帰」番組載録
川瀬泰雄さんを迎えて Part 1
2 <ビートルズマニアからプロデューサーへ・・・>
M ♪・・ON AIRした曲です BG・・MC中にBGMで流した曲です
川・・・川瀬泰雄さん 大・・・大和秀嗣
<ビートルズ・マニアからプロデューサーへ・・・>
大 さてこういった「ビートルズ・マニア」だった川瀬さんなんですけれども、それがどういうきっかけで
プロデュース業にこう・・移って行くんでしょうか?
川 あの・・元々がプロデューサー志望だったんです。
大 ああ、そうなんですかー!
川 ええ、学生の時に僕がやっていたバンドってかなりいいバンドだったんですよ、自分で言うのもおかしいんですけれども。
で、「プロになれ」って話がたくさん来たんですけれど、ドラムの奴がお医者さんにならなきゃいけなかったり・・
そういう理由があって、バラバラになるんだったらおもしろくないな・・って、じゃあこのバンド解散しちゃおうかって
解散したんですけど、僕はそれこそビートルズのジョージ・マーティン(プロデューサー)になりたかったんですよ。
それまで音楽のプロデューサーっていう世界をあんまり知らなかったんですよ、ビートルズを知るまでは。
そういう仕事っていうのがあるんだなーって思って、こうやって音楽を自分の好きな形で作っていけたら
「本当にいいだろうなー」って思って、まず「そういう人達はどういう所にいるんだろうな」って思って調べたら
レコード会社だと。で、レコード会社のたまたまディレクターをしている人の弟が同じ学校にいたんですよね。
その友達からお兄さん紹介してもらって。そのお兄さんがかなり先見の目があったと思うんですけど、
「今からはプロダクションがそういうセクションを持っていく時代なんだ」って言うんですよ、
レコード会社っていうのは販売の方で・・。それを聞いた時に、「どういうプロダクションにディレクターっていうのが
いるんだ」って聞いたら、まあその頃渡辺プロとホリ・プロダクションだって言うんですよね。
で、渡辺プロはすごい大きなプロダクションじゃないですか・・・
大 かなり大手でしたよね、当時はね。
川 もしかしたらいっぱい受けに行ってて落っこちるんじゃないかなって思って。
大 なるほど。
川 で、ホリ・プロダクション受けに行ったんですよ。
結構ホリ・プロダクションもたくさん応募が来てて・・
大 ああ・・・当時ホリ・プロダクションにはどういったタレントさんがいらしたんでしょうか?
川 えーと・・和田アキ子さんがデビューする頃ぎりぎりですね。![](jack-wadahoshizora.jpg)
大 67年くらいですか?
川 68年の10月が和田アキ子さんデビューなんですよ・・たしか・・それで僕大学4年の時にまぁホリプロ試験受けて
受かったんで、大学が工業大学だったんで卒業研究・・普通の卒論の代わりに研究しなきゃいけなくて。
それが9月くらいに発表があって、それまぁ無事通過して卒業出来るってわかった途端に10月からホリ・プロダクションへ
行き始めちゃったんですよ。「何もする事ないんだったら来い!」って言われて・・。
だから大学の4年の時に10月1日から行き始めたんです。
で、結局そのまま卒業式も出ず、謝恩会も出ず、もう1回も学校いかないまま卒業しちゃったんですよ。
大 えっ!卒業しちゃったんですか?ホリプロに通いづめで。
川 っていうのは卒業式に日にその当時グループ・サウンズがたくさんいて「オックス」ってバンドがいたんですけど、
そのバンドが日比谷の野音でコンサートがあったんですよ。
大 失神バンドですよね。
川 そうですそうです、それで、僕はそこ行ってて卒業式はもう出られないって諦めて友達に「代わりに卒業証書
もらっといてくれ」って・・「謝恩会の方に出るから」って話しておいたんですけど、まさにその失神騒ぎで・・
大 (笑)
川 救急車に乗せたりっていう仕事で・・
大 あっほんとに!!
川 ほんとにです。40人くらい失神したんです。
大 あれ当時の野口ヒデト(後の真木ひでと)さんが失神すると女の子が失神するんですか?
川 ええ
大 ハハハハ・・
川 もう何か集団催眠みたいなそういう状況ですよね。集団マス・ヒステリーというか・・
大 はぁ〜!!
川 それで結局その時間も駄目になっちゃって、でも僕の卒業証書を謝恩会のところで持ってるって言うんで、
終わる時間にタクシーでバァーって行ってそれで友達が「はい、卒業おめでとうー!」か何か言って
卒業証書もらってそれでまた現場に戻って・・それがまぁ卒業式だったんですけれども。
大 (爆笑!)それが卒業ですか・・・
川 それで10月から行き始めた時に(ホリプロへ)和田アキ子さんの2作目くらいだったかな・・のレコーディングがすぐで、
デビュー曲はもう10月1日にデビューしてて2作目の「どしゃぶりの雨の中で」あれをレコーディングしている時に
アシスタント・ディレクターみたいな形で・・言ってみればお茶くみとか灰皿持ってこいとかっていう感じなんですけど
大 そのレコーディングのスタジオの・・ですね
川 そうです、プロデューサーもその時ホリ・プロダクションのプロデューサーっていましたから、その人に付いていって。
僕バンドやったりしてるから洋楽とか好きだったじゃないですか、それで和田アキ子さんの場合は「リズム&ブルース
の女王」とかっていう感じで売り出してたんで結構こう・・サウンドに興味ある訳じゃないですか。
それでレコーディング聞いてたら「バス・ドラ」と「ベース」の音が小いさかったんですよね・・僕にしてみれば。
それでもう・・新入社員が生意気に、「すいません、ちょっとドラムとベースがちっちゃいんですけど大きくしてもらえませんか?」
ってそのプロデューサーに言ったんですよ。
大 はぁー
川 そしたら「おまえがエンジニアに言って来い!」って言うんですよ。それで・・すごい怖いですよね
半分学生で業界の事も知らないし。その未だにそのエンジニアの方って現役でやってるんですけど、怖い人なんですけどね、
その人のとこ行って「すいません、あの・・ドラムとベースちょっと上げて欲しいんですけど・・」って言ったら
「え〜っ」ってこう・・半分しかめっ面しながらスッって上げてくれたんですよ。そしたら・・良くなったんですよ。
そのエンジニアも「おう、いいじゃない」って感じになって、「あーやった!やった!」なんて思ってね。
その瞬間からそのプロデューサーが「次からおまえ録れよ」っていう話になって・・・
だからアシスタントその日一日だけなんですよ。
大 もうプロデューサーになってしまったんですか?
川 そうですね・・現実にそのディレクションとか・・。みんなミュージシャンからエンジニアから全員自分より年上が
ズラーッと居るじゃないですか、どのタイミングでOK出していいんだかもわかんない訳ですよ。
大 はぁ〜・・・
じゃあ一番最初のホリプロでのプロデュース作品といえば何になるんですか?
川 やっぱり和田アキ子さんとか・・それから丁度・・これはね現実に音録った所に立ち合わせてはいないんですけども、
『マンダム〜男の世界』って知ってますか?
大 はい知ってます、知ってます。![](mandomotokonosekai-jack.gif)
川 元々「丹頂」っていう化粧品メーカーだったんですけれども、そこで男性用化粧品を・・
大 チャールズ・ブロンソンのCMですよね・・
川 それのCMを作るって話になって、それも担当になって。単純に企画の段階とそれからアメリカで
現実には別の人が音録ってそれを当時羽田空港ですけど、出来上がって来たテープを
羽田に取りに行くだけの作業だったんですけど、一応担当で・・。
そしたらいきなり1位な訳じゃないですか。※
大 はい!♪All The World〜 フンフンフフン・・・ちょっと英語がわかりませんけど、そういう歌でしたね。
川 そうです、そうです。
大 はい〜
川 それが1位になって「1位って簡単じゃん!」って思って(笑)
大 ハハハハハ・・初めての頃にもう1位と取ってしまった!
川 まだ学生だったですからね!
大 はぁ〜
川 そんな何かラッキーなんだか不幸なんだかわかんないディレクター・デビューしちゃいまして・・・
大 そうですか・・それからいろいろホリプロの中から生まれた・・あの井上陽水さんもホリプロの中から生まれた
アーティストでしたよね・・
川 そうです・・元々やっぱり自分でバンドやってたっていうのがあって、ホリプロの中に居るどういう
アーティストを担当したいかって言われた時に、その時一番自分の感覚に近かったのが「モップス」っていう
バンドなんです。
後で「月光仮面」だとか「たどりついたらいつも雨降り」とかまぁヒットしたんですけど。
大 鈴木ヒロミツさんがいらっしゃった所ですよね・・。
川 そうですそうです・・で彼等を「モップスやってみたいんですけど・・」って上司に言ったら、
全然売れてない時期で
もう渡りに舟みたいな感じで「おう、やれやれやれ!」って言って・・
大 (笑)「どんどんやれ!」みたいな・・
川 (笑)簡単に担当になって・・
それで・・そのうちに段々「髪の毛の汚い奴は全部『川瀬』」みたいな(笑)
大 (笑)担当が!
川 なんかそういう風潮になっちゃって、ホリプロの中で・・でその中にたまたま「アンドレ・カンドレ」っていう
タレントがね九州のラジオで1位取ってて、何かアマチュアなのに面白い奴が居るらしいって・・
で、デモテープを「これ聞いとけ」って言われて、その当時の社長の堀さんから渡されて。
「もうすぐ東京に出てくるから、おまえちょっと話聞いてやれ」っていう風に言われてね。
それで・・来たんです、アンドレ・カンドレが。
で僕の机っていうか椅子に座ってて、後ろが壁だったんですけど・・「何か壁と同じ様な色した奴が居るな・・」って
思って(笑)
大 壁と同じ色(笑)
川 それで・・「あっ、こいつかな」って思ってね、「アンドレ・カンドレ?」って聞いたら「はい」って言うんですよ・・
大 ええ〜!
川 「じゃあ何かデモ・テ-プ持ってきた?」言ったら「持ってきました」って。
「じゃあ聞かせて」ってその場で聞いてたんですよね。その当時まだカセットが丁度出始めくらいの時代なんです・・
大 じゃあオープン・リールの頃ですねまだ・・・
川 オープン・リールのデモ・テープを聞いて、すっごいビートルズの匂いを感じたんですよ・・で
「ビートルズ好きなの?」って聞いたら結構ツッパってて「別に・・」って言うんですよ。
大 おー・・(笑)
川 「ああそう・・」じゃあ別にねぇ・・ 「俺なんとなくビートルズの感じしたから・・」って話ししてて。
唯曲はすっごい いいメロディーだなぁーと思って、その時7,8曲は持ってきてたのかな〜。その当時画期的に
自分で多重録音してるんですよ。自分でハーモニー付けたりなんかして・・「ああ、これはいいなぁ〜」と思って。
唯詞がちょっと今ひとつおもしろくないなぁ〜なんて思ってたんですけど。
それで・・そんな話ししてて暇になったんで、「もし暇だったら練習スタジオがあるから、
そこの鍵貸してあげるからそこで練習してなよ」って言って、そこ案内して僕は又自分の事務室の方に
行ったんですよね。・・で1時間経っても2時間経っても帰って来ないんですよ。
何となく不安になって、又そのスタジオ行ったらビートルズ歌いまくってるんですよ。
大 (爆笑!!)
川 「別に・・・」って行ってた奴が(笑)
大 ハハハハハ!・・「おまえ!・・」みたいな・・・
川 そう・・それで僕、物も言わずに全部ハモったんですよ。
大 あ〜すぐ一緒になって!
川 ええ、一緒になって。
そしたら「おっ、やるな〜」みたいな感じで「じゃあ次は誰も知らない様な曲だろう」っていうみたいなのを
歌い出すんですよ。そしたら全部ハモッたんですよ。
大 ハハハ!・・・ああ、そこで・・
川 そしたらまぁ10曲くらい歌ったくらいの時に、一段落ついて・・「東京ってすごいですね」って言うから「何で?」
って言ったら「サラリーマンがビートルズハモっちゃうんですね」って(笑)
大 (笑)
川 僕はだってサラリーマンですからね・・。
大 なるほど・・。
川 そっからずっと彼とはもう・・腐れ縁みたいな感じで・・未だに、まぁたまにですけどね連絡したりしてるんですけど・・
大 ああ、そうですかぁ・・「氷の世界」などそこら辺の大ブレイクする辺りはもうずっと川瀬さんがやってらしたんですね・・
川 そうですね、ポリドール時代までですね。
大 「フォーライフ」を立ち上げる前ですね・・。
川 アルバムで言うと「二色の独楽」までですけど。![](inoueyosui-nisyokunokoma-jack.gif)
大 さてその井上陽水さん等担当しまして、丁度陽水さんの担当が終わった後百恵さんくらいですか?
川 じゃなくて、その時はホリプロの中でも僕きたないの担当だったじゃないですか・・(笑)
大 (笑)
川 それマネージャーとレコーディングのディレクターと兼任だったんです。
大 !マネージャーもされてて・・すごい・・全部!フル!!
川 だから・・現場に行って、帰って来て・・そのタレントとスケジュールまるで一緒に動くんですよ。
それで陽水もその頃あんまり仕事が無いから、「モップス」と「陽水」でうまい具合にレコーディングも
マネージメントもやってたんです。
で・・その時に段々陽水がブレイクし始めてそんな事やってられない状態になって来たんで、ホリプロの社長に
「レコーディング専任にさせてくれないか」って言う風に申し入れしたんですよね。
マネージメントは元々僕のやりたいと思ってた方向じゃなかったんで。それでそういう適任な人も入って来たんでね、
「じゃあそのマネージメントは彼等に任せて、おまえはディレクション専門になれ」ってなった時に、
今度は2人だけ担当じゃちょっと物足らない訳ですよね・・
大 ああ、なるほど・・
<百恵担当〜「愛に走って>に続く・・
※「男の世界/ジェリーウォレス」
1970・7・25発売 マンダムCM曲
70・10・19から3週連続でオリコンチャート1位・73,4万枚
ジェリー・ウォレスはウエスト・コーストのカントリー&ウェスタン歌手。
CMの中のチャールズ・ブロンソンの「mm〜Mandom・・」というつぶやきが流行し、何作もシリーズ化されたCM
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