川  陽水をやってる時に、その当時まだ中3トリオとかなる前の山口百恵がいて、
    ”ホリプロ3人娘”としてプロダクションとしては売ろうとしてたんですよ。 

大  森昌子さん、石川さゆりさんと百恵ちゃんですね。

川  ええ。 そういうイベントが日比谷の野音であって、陽水がたまたま暇だったから
   「おまえ一緒に見に行こうよ」って。

大  陽水さんとそれを見に行ったってすごいですね。

川  それで、塀の上かなんか一番後ろの座席じゃないところにチョンと二人で座って見てて、
   石川さゆりさんも森昌子さんもどっちかって言ったら演歌よりだったじゃないですか。
   それで山口百恵っていうのはものすごい新鮮に聴こえたんですよね、「あっ彼女いいねー」みたいな。
   その印象がわずか一ヶ月くらい前にあって、いざ自分の担当を増やさなきゃいけないって言われた時に、
   丁度山口百恵を1作目、2作目まで担当していたプロデューサーがやめなきゃいけないって事になったらしいんです。
   それで山口百恵の担当を探しているって話になったんで「じゃあ やらせて下さいよ」って言って、
   わりあい何の問題もなしに「じゃあ 丁度いいよおまえやれよ」っていう感じで。

大  ああ、その頃は百恵ちゃんもまだね、デビューしたばっかりだから・・

川  そうです、そんなブレイクしてなかったし・・で、この娘だったらいいなあ・・って思って
   初めてアイドル系って言っちゃおかしいですけど、それまできたないのばっかりやってましたから(笑)

大  ハハハ・・ 一番最初に作品として関わったのは、「ファーストアルバム・としごろ」の・・

川  ああ、そうです。その時は正式な担当じゃなかったんですけれど。
   洋楽好きだから、オールディズなんかも詳しいからB面の選曲してみろって言われて、
   アルバムのB面を担当しました。

大  B面というのはカヴァー作品ですね。
   アメリカンポッップスがずらっと並んでいる・・この曲を川瀬さんが選曲なさった。


M BG「VACATION」

川  それのディレクションも一応その時に半分立ち会ってやって、それで山口百恵っていうのは何となく
   自分では「あっ、やってみたいな」っていうのはあったんですけれど。
   シングルで言うと正式には3作目「禁じられた遊び」からです。

大  日比谷の野音でご覧になったのは丁度「青い果実」とかを歌っていた頃ですよね?

川  まだレコード出てたかどうかわからないですけれども、「青い果実」もやってたと思います。
         




                                           





  担当になって、シングルも関わっていく訳ですけれどもその時は”青い性路線”っていうのは確立されてたというか、
   そういう路線で行きましょうってお話があったんですか?


川  というより「青い果実」がブレイクしたおかげで「この路線を何作か続けよう」という酒井さんの方の・・

大  「青い果実」とか「禁じられた遊び」っていうタイトルがねすごいんですけれども

川  このタイトルっていうのは酒井さんが自分で考ええられて、「今度はこういう作品で行くから」って。
   内容をどうするかっていう所から話が来たりっていう事がよくあったんですよね。

大  シングルの場合ですけれども、大体酒井さんがひらめいて、そこからどういう作品に広げようかっていうのは
   川瀬さんがお考えになって、それから発注も川瀬さんが行うっていうパターンだったんでしょうか?


川  そうですね・・もう酒井さんは現場でディレクションする人じゃないんですよ。
   カラオケのレコーディングにしても、酒井さんの表現方法って非常に抽象的なんですよね。
   「何かここ、不気味にやって」とか、そうすると音をどうやって不気味にするんだろうとかその辺を
   アレンジャーなんかと打ち合わせして行ったり・・金塚晴子さんと二人で現場をずっと担当して来たって感じですね。

   酒井さんはシングルのA面に関してはすごい入れ込み方をしてました。

大  そのイメージを川瀬さんと金塚さんでどうやってふくらませようかってお考えになって・・
   そこが一番難しい所ですよね。








M ♪太陽の友達
大   初期の頃のアルバムなんですけれども、大体アルバムに「15才のテーマ」「16才のテーマ」・・と年齢をテーマに
    つけておりますけれども、初期の頃はどういった感じでアルバムを制作していたのでしょうか?


川   初期の頃は、大体酒井さんがイニシアティヴを取る事が多かったんですよね、テーマとかに関しては。
    その当時はシングル候補から外れた曲ってありますよね、何作か作っていきますから・・そういうものが
    当然アルバムに入ってくるとか、まあそういう作りが・・。トータル・アルバムという発想はもうちょっと後ですね。

大   この頃は今おっしゃっていた様に、シングルの候補から外れたような匂いを感じる曲結構が入っていますよねー!

川   だから似たようなテーマで何作か作ると、当然何か似たようなニュアンスが・・逆に言うとそれでアルバムの
    統一感がそれで出るというのがあるんですけどね。

大  この頃はシングルが1枚出るとアルバムも1枚出る・・とそのぐらいのスピードでしたよね、
   制作の方は大変だったんじゃないですか・・?


川   もう他のアーティストも担当してたじゃないですか、でも百恵の担当する時間っていうのが全体の8割くらい占めてた様な
    気がするんですよ・・・というのは僕達がやる作業っていうのは歌のダビングの時だけじゃなくって、作詩家と打ち合わせ、
    作曲家と打ち合わせ、アレンジャーと打ち合わせ、カラオケを録ります、歌をレコーディングします、歌が終わるとミックス・ダウン
    します・・・・と、こういう作業がたくさん残ってますよね。
    そうすると、毎日百恵の事を一回は何かやってないと間に合わないくらいのペースですよね。

大  そうですよね・・だって3ヶ月に1枚くらいのペースでアルバム出てるんですからね。

川   そうすると単純に3ヶ月でたとえば10曲やると、1曲大体10日くらいの感覚で作っていかなきゃたぶん
    ペースとして間に合わないじゃないですか、まあ・・1週間くらいで。その間に今言った打ち合わせとかを
    全部1曲づつやって行かなきゃいけないじゃないですか。
    まあそんなに計算上2曲いっぺんに頼んだりっていうのありますからそんな風ではないんですけど、
    ただ頭の中に常に”山口百恵”がいましたよね。
    酒井さんはレコード会社の人だったんで現場とかそういう所にあまり行かなかったけれど、僕はホリ・プロダクション側
    だったんでいわゆる「音合わせ、立ち会ってくれよ」って言われると、テレビのスタジオで新曲やる時なんかバンド
    との具合で「音、こういう風にしたらいいんじゃないですか?」とかっていうのを見てくれって言われるんですよ。
    「バランスがちょっと違うな・・ちょっとここの所抑えてくれる・・」みたいなこともやった事あるんですよね。
    そうすると・・もう四六時中結構一緒に居る・・みたいなところありましたよね。

大   はぁ〜・・じゃあ常にもう・・百恵ちゃん・・

川   そうですね・・。

大   うらやましいですね〜(笑)そういう問題じゃないか・・!

川   まぁ・・仕事だったですからねぇ〜

           
                                                         

大   初期のアルバム「15才」の中の「ちっぽけな感傷」、唯一これシングルと、アルバムヴァージョンと2つありますけれども・・



M ♪ちっぽけな感傷(「15才」Album Version)
M BG「名前のない時間」

大   当時のアイドルとしては珍しく2つのヴァージョンがあるわけですけれども・・

川   これはどっちがシングル向きかなってトライした結果ですね。

大   百恵ちゃんの当時のインタビュー記事に、「二通り録ってみて、スローな感じの方が難しかったかな・・」っていうのありましたね。
    なるほど・・でもそういうのいっぱいあったんじゃないですか・・シングルにしてみたい!とか


川   ありましたね・・

大   この頃「ひと夏の経験」「ちっぽけな感傷」・・と来ているあたりは表現力もついてきてたんでしょうかね・・

川   そうですね・・まあ「この曲で一気に」というのは・・さっき言ったように毎日の様に何かやっていたものですから
    徐々に・・徐々にですけれども。まず声が太くなってきたな、とかそのおかげで表現力が増してきたなとか・・
    当然そのテクニック的な部分だけじゃなくてね、彼女がどうやってその曲に対して自分の中に取り込んで行ったのかなとか・・
    そういう所が影響しているんだと思いますけれども。やっぱりどんどんよくなって行きましたよね。
 
大  本当に「あっ」と思った瞬間はありました?難しいですかね・・やっぱり段々と、という感じですかね?

川   いや何回かあったと思うんですけれどもその曲、その曲で。
    それこそ「冬の色」だとか「湖の決心」だとか時に「あっうまいなー」とかそういう瞬間はありました。
    アルバムの中でもそういう風に感じた時もありますし・・。

大   初期のアルバムでは 安井かずみさんや なかにし礼さん・・いろいろな方が書いてますが、
    作家もこう・・模索していた感じですか?


川   そうですね・・。だんだん後半になるにしたがって僕の趣味がすごい・・出てきちゃってるというのはすごくあるんですけれども。



大   ここで私の趣味で一曲お届けさせて頂いてよろしかったでしょうか・・。
    私が百恵ちゃんのファンになったきっかけというのがこの曲だったんですよね。


川   ああ・・そうですか!

大   ある日小学校4年生の時なんですけれども、学校から帰ってテレビをつけたら・・あれはたしか「3時のあなた」
    だと思うんですけれども、それに百恵ちゃんがゲスト出演してたんです。そしてこの曲を歌ってて・・
    僕は「えーっ山口百恵ってすごい!」と思ってそこから虜になってしまったこの曲をお届けします
    75年の9月に発売されました「ささやかな欲望」。


M ♪ささやかな欲望

13:00台〜

M BG「白い約束」

「白い約束」のイントロが流れた途端、「なっつかしいなぁ〜」と川瀬さん・・




大   さて1時台も続きまして川瀬泰雄さんをお迎えしながらお届けさせて頂きます。
    先程「ささやかな欲望」をお届けさせて頂きましたけれども、僕はこれを聴いた時本当にびっくりしました。
    「うわぁ百恵ちゃんすごい」って。
    その「すごい」っていうのは何かこう・・来る物がすごかったんですよね歌っている時に。
    まあそれまでも好きな歌は聴いてたりしてたんですけれども、この曲は僕が初めてレコードを買った曲なんです。
    こっからハマリまして、丁度「赤い疑惑」が始まったり・・


川   この頃が僕の中で・・例えば分岐点っていうのはやっぱり「横須賀ストーリー」が分岐点だと思うんですけど、
    その第一期って勝手につけちゃうとしたら・・その頃のピークですよね。
    要するにツッパリ路線の前の百恵のピークみたいな感じがしますよね。
    これは後から考えた事ですけれどもね。

大   このアルバム「ささやかな欲望」も、結構歌唱力が必要とされていた曲が並んでいたと思うのですけれども。

川   千家さん、都倉さんの作品あたりでは、この辺が一番盛り上がって来たところですね。

大   このアルバムで次のシングル「白い約束」の作曲者である 三木たかしさんも参加なさってますよね。

川   そうですね、あの僕達も「山口百恵=千家和也さん都倉俊一さん」ではないっていうのありますよね。
    他のいろんな人の作品も創ってみたいし・・で作家をいろんな人にお願いしている時期というか、
    まあ常に探してはいるんですね新しい人が欲しいなって。
    ただある程度信頼出来る人じゃないとまずいなっていうか不安だなっていうのがありまして、
    その時に 三木たかしさんっていうのは当然それまでの三木さん自身の歴史もある人ですし
    「この人なんか書いてもらったら面白い物出来るかもしれない」って次のシングルの準備段階ということで
    アルバムに・・そういうトライの仕方ってよくやってるんです。
    宇崎さん阿木さんなんかでもそうですし・・その時にはもう「次のシングルあたりで三木さんにお願いしようか・・」
    っていうのも当然ありますし、そういう意識でお願いしてたと思います。

大   「白い約束」、僕がイメージ的に捉えると「赤い疑惑」というテレビドラマのイメージをすごく引きずった感じの作品じゃないかなって
    思うんですけれども。


川   ああ・・そんな意識はなかった様な気がするんですけどね・・。
    B面とかで入れることが決まってたりするじゃないですか、そうするとあえてそこの世界にしようって気はなかったですね。
    僕達なりの変なプライドがあってね、「ドラマはドラマだろう」「音楽は音楽で勝負したい」っていうのありましたから。
 
大   「白い約束」「愛に走って」この2曲は隠れたファン・・隠れたっていうのもおかしいですけれども、好きな方多いんですよね・・
    今回のリクエストでもかなり投票が来てたんですよね・・


川   そうですか・・

大   「愛に走って」ってこのイメージいいですね・・百恵ちゃんの・・。
    僕はここの辺ドラマと連動したイメージとこう・・交差してしまうんですけれどもね。


川   きっと見てる方はそうだと思うんですよね、で逆に僕達はそれを意識しなかった事で受け取り側の
    幅の広がりっていうのが出たんだと思います。

大   次に「横須賀ストーリー」が来る訳ですけれども、この頃はまだこう・・どういう方向に百恵ちゃんを行かせようか
    思いとか迷いみたいのはありました?


川   ・・っていうより「どんどんうまくなって来たな・・」ってこの頃本当に感じていましたし、それだけに「いろんな世界を広げていきたいな」
    というのがものすごいありましたよね。だから模索してるっていうよりも、どんどん広げていきたいという意識の方が強かったですね。

大   ああ、なるほど!

川   いろんなジャンルのものをトライさせて・・という意識が僕の中ではもうものすごい・・・僕が段々と現場のイニシアティヴをとり始めた
    時期でもありましたので、どんどん広げたいなっていうのありましたよね。

大   その中で例えばどのような方に作品を書いてもらいたいなという思いが川瀬さんの中でありました?

川   佐瀬寿一さんとか、佐瀬さんは「およげ!たいやきくん」で大ヒットしてましたし、他のアーティストで佐瀬さんにお願いしたりして
    佐瀬さんのこういう感じの曲を書いてくるだろうなっていうのはもう予想出来てましたんで「あっこれ百恵に持ってきたらおもしろいだろうな」
    って。後はまあ僕がもともと例えば陽水だとかモップスだとかやってた、ああいう人達にたくさん書いて欲しいなっていうのはすごく
    ありましたね。

大   ほーっ

川   だからその候補の中では当然宇崎さん阿木さんもそうですけれども、谷村さんだとか さださんとかもすでにその時に・・例えば
    中島みゆきさんとか矢沢永吉さんとかそういう人達まで候補には上がってましたね。

大   はぁーそうですか・・!

川   この辺の人に書いて行ってもらったら「どんな世界が出来るんだろう・・」と常に模索してましたから。

大   素晴らしいですね・・それがみんな実現していたとしたら、すごい事ですね・・。

川   唯中島みゆきさんは桜田淳子さんに書いていて、そういう事があったんで
     「じゃあちょっと別の人行こうか・・」みたいな所はあったと思いますけれども。
  

                  




<ON AIRされていない部分で伺ったお話、番組終了後新たに伺ったお話です!>
大 シングル「ひと夏の経験」はデビューの年に「甘い誘惑」というタイトルで出来上がっていた、と
  当時のインタビューに載っていますが、覚えていらっしゃいましたらその辺のお話をお願い致します。
 
川 この曲に関して、タイトルが変わったことも覚えていませんでした。
  ただ「甘い誘惑」というタイトルにはおぼろげな記憶はあります。
  ちょっとあいまいな記憶しかありません。
  曲が出来上がった時、都倉さんのお宅か仕事場か忘れましたが、都倉さんのピアノで曲を聴いた記憶はあります。

大 萩田光雄さんの起用について詳しくお聞きしたいのですが。
 
川 僕たちは、常日頃いい作家、いいアレンジャーを探していました。
  昔ソニーのディレクターをやっていて後にアレンジャーになられた福井氏というひとに
  最近いいアレンジャーいないかと聞いたところ、萩田氏という若手ですごくいい
  アレンジャーがいると教えられて、すぐに依頼した記憶があります。

大 「顔で笑って」パパは恋人、「赤い疑惑」ありがとうあなた、赤い運命・・と
  ドラマの主題歌はTVサイズに編集して放送されますが、
  その編集や録音はレコーディング時に川瀬さん達がやっていたのでしょうか?
  「パパは恋人」はオリジナルと違うメロディラインを入れて宇津井さんと歌ったのを
  作ってたり、「赤い運命」はイントロが全くオリジナルと違っています。
  MIXを変えたりカラオケもそれ様に取り直しているのは明らかな物もあるのですが・・歌もほとんど別テイクです。
  映画についてもオリジナルとはオケが違います。
 
 
川 ドラマの主題歌はほとんどレコーディングのときに一緒に録っていました。
  オープニングやエンディングの長さに合わせてアレンジを変えたり、テンポを変えたり
  詞を入れ替えたりといろいろなことをやった記憶があります。


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 載録目次   Home

〜山口百恵の8年間〜

山口百恵デビュー30周年記念番組

年末長時間スペシャル

大和秀嗣の歌謡クロニクル

川瀬泰雄さんを迎えて Part 1
3<百恵担当〜「愛に走って」

M ♪・・ON AIRした曲です BG・・MC中にBGMで流した曲です

川・・・川瀬泰雄さん  大・・・大和秀嗣

「百恵回帰」番組載録