大和秀嗣の歌謡クロニクル 年末長時間スペシャル 山口百恵デビュー30周年記念番組 〜山口百恵の8年間〜 |
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ふろく FMレコパル 79年9月3日〜16日号 <野口五郎と山口百恵のL・A・サウンドを聴く> 歌謡曲シンガーの海外録音について北中正和氏による取材記事。 山口百恵の海外録音の在り方を非常に良く捉えてある 文面だと思います。 川瀬泰雄氏の当時のインタビューも交えて書かれています。 |
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野口五郎と山口百恵は ロスアンゼルスで どんなサウンドを作ったか? 文/北中正和 ビッグ・アイドルめ最新アルバムぱ一聴の価値あり。 歌謡曲のイメージをはるかに超えるチャレンジ精神と音作りに乾杯!! 海外録音盤もそれぞれ個性を 打ち出す時代になってきた…… ひと昔前まで、海外録音といえば特別に″はなばなしい″イメージがあった。 しかし最近では、海外録音のレコードが毎月必ず何枚かは発売される。 だからそれだけでは、ちっとも珍しくなくなってきた。考えてみれば、海外旅行が日常茶飯事化し、 毎年何百万人もの日本人が外国を歩き回っているのである。 海外録音の 珍しさ″ やありがたみ″が薄れて感じられるのは当然だろう。 にもかかわらず海外レコーディングほ盛んに行なわれ、その中にはけっこう興味深いレコードもある。 そしてそうしたレコードを聴いていると、海外レコーディングに対する方法論や価値観に 変化が起こっていることが感じられるのである。 たとえば、最近デビューしたスぺクトラムというグループの宣伝パンフレットに 「なぜいまさら、ロスアンゼルス・レコーディングなのか?」というような説明があったが、 これなどは海外録音に対する新しいアプローチを、ミュージシャンや制作者側のスタッフが 考えはじめていることの何よりの現われではないだろうか。今回はそれを少しさぐってみようというわけである。 アメリカ西海岸の音楽産業の中心地ロスアンゼルスは、スタジオ設備やミュージシャンがそろっていること、 日本のレコード会社の出先機関などもあって現地での折衝が比較的容易であること、 日本から近く、温暖な気候の地であること、などの理由で海外レコーディングの候補地としては、 日本人のミュージシャンに最も人気の高いところである。 最近も先のスペクトラムの『スペクトラム』(ビクター SlX20150)、原田真二の『ナチュラル・ハイ』(フォーライフ FLL5028)、 因幡晃の『青春の翳り』、(エピック・ソニー苧3H7)鈴木茂の『コスモス’51』(クラウン GW4045)など枚挙にいとまがない。 ひとくちにロスアンゼルス録音といっても、ミュージシャン現地調達タイプ、全員日本から出張するタイプ、その混合タイプなど、いろいろである。 レコーディングの目的も、「将来の因幡晃に向けて、何かを変えるきっかけにできればと思った」(エピック・ソりー前田仁氏)、 「集中してやれるし、スペクトラムの場合、プラスの高音域など最高のサウンドをめざせる」(アミュ−ズ音楽出版越中氏)といったものから 、とにかくあのミュージシャンとやりたい、というものまでさまぎまだ。 スペクトラムの場合ほアース・ウィンド&ファイアーの影響を受けたグループだけに、本家と同じロスアンゼルス録音がスムーズに 納得できるケースだ。因幡晃は日本的な抒情派歌手というイメージが強い。その彼がロスアンゼルスでやるというギャップを埋めるために、 アレンジャーに瀬尾一三を起用し、日本で一度デモテープまで作ってから行なったという用意周到ぶりが成功につながっている。 原田真二のアルバムは、トトやフォリナーなど、いわゆるアメリカン・プログレ・ハード的なサウンド感覚がとり入れられた ダイナミックなサウンドを目ざしたものだろう。鈴木茂の場合は、もう何度もロスアンゼルスでやっているという軽い気分で表現されている。 いずれも、ひと昔にくらべ、気負いがなく、ごく自然にやっている。 (中略) 山口百恵=あくまで一連の アルバム作りの姿勢で!! もうひとつ、海外録音のあり方を考えさせてくれたアルバムに山口百恵のこの夏の新作『L・Aプル-』がある。 彼女のアルバムの特徴は、どこでレコーディングしても、日本語の歌をたいせつにするというポリシーが貫かれていることだ。 2年前のロンドン録音の『ゴールデン・フライト』の時もそうだったが、バックのサウンドがどのようにその土地の音に変わっても、 百恵の歌はドッシリ不変ですというふうに作られていると、聴いていて感じるのである。 よく、ロスアンゼルスに行ったとたんに、日系三世みたいに、日本語のイントネーションが 英語風になってしまう人がいるが、そんなけはいはみじんも見られない。 このアルバムでも、ソウル的な感覚をとり入れたロスアンゼルス・ポップスのサウンドと百恵の歌が異和感なく一体となっているところがすごい。 また彼女のアルバムの場合、野口五郎と違って、好きな、ミュ−ジシャンを指名してそのソロをフィーチャーしたりする発想はない。 フュージョン・ミュージック的な方向も日本録音の『百恵自書』あたりでやってしまっている。 そういう実験的な要素は、このアルバムのほうがおとなしいくらいである。 野口五郎の場合、いわばセッション・アルバム的な色彩を濃く持っているのに対し、 山口百恵の場合はバックはあくまでもバックであり、そこに彼女の個性がぶつけられているのである。 「『横頚賀ストーリー』を作ったころから、LPは1作ごとにいろんな冒険をしてきたと思うんです。 それが歌手としての山口百恵の形成に大きな役割を果たしてきた。 今回ロスアンゼルスに行ったのも、あくまでも山口百恵のLPを作りに行ったんで 有名なミュージシャンをたくさん集めようみたいな発想はなかった。 それだったら彼女のアルバムじゃなくて、もっとグロスオーバーっぽい人のレコードを作ればいいんですから」 というのがプロデューサーの川瀬泰雄氏の説明である。 彼は、かつて井上陽水のレコーディングなどにかかわってきたことがあり、 その経験や感覚を山口百恵のLPにも反映させるようにしているという。 彼女のLPがニューミュージックのファンに好まれる作りになっている理由の一端がわかるような気がする。 アルバムの雰囲気としては、さわやかなロスアンゼルスというイメージではなく、 レコードの帯でタイトルのわきに小さく印刷されているようにロスアンゼルスのゆううつといった面をねらったそうだ。 「アルバム作りという点では、だから『百恵自書』や他のアルバムとは変わりがないわけで、 たまたま録音がロスアンゼルスだったというだけのことぐらいに考えています」。 これはロスアンゼルスの音楽に特別な思い入れがないからこそ出て来る考えだろう。 この意見は、裏を返せば、それだけ日本のミュージシャンやスタジオの技術が海外のものに負けない水準になってきているということでもある。 山口百恵と野口五郎のロスアンゼルス盤は、サウンド作りの面でお互い対照的な性格を持ちながら、 主体はあくまでも本人の個性であるという点では共通している。 彼らにとってロスアンゼルス録音は、ロスアンゼルスの音楽に安易に同化することではなく、 自分の持っている個性にロスアンゼルスのサムシングをプラスするためのものなのである。 そのためには日本での日ごろの活動や準備がますます重要な意味を帯びてくることは言うまでもない。 今後はそうしたことも踏まえたうえでロスアンゼルス録音をめざす人が増えてくるのではないだろうか。 これはニューミュージッグの人たちが持っているロスアンゼルス録音に対する気軽な行動力と共に、 大いに注目すべき点ではないかと思う。 ピアノのトム・ヘンズレイと談笑する山口百恵 |
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川瀬泰雄さんを迎えて Part 2 2<L、A blue> | |
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