大和秀嗣の歌謡クロニクル 年末長時間スペシャル 山口百恵デビュー30周年記念番組 |
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「百恵回帰」番組載録 川瀬泰雄さんを迎えて Part 22<「L.A Blue」> ![]() |
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川・・・川瀬泰雄さん 大・・・大和秀嗣 M ♪・・ON AIRした曲です BG・・MC中にBGMで流した曲です |
<「L.A Blue」> |
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![]() (右端 川瀬さん) |
大 今度はOさん、こちらの方は釧路の方です。 それでは「L,A Blue」の話になりますね。 『「L、A Blue」は海外スタッフと考え方が違って アルバムの完成度にも影響した・・と眼にしたのですが本当ですか? 百恵ちゃんのその時の様子などお話頂きたいです。』 川 これはね、実はですね・・ 今だから話せるじゃないですけれども・・(笑) これ本当はレコーディングはカラオケだけ録りに行く予定だったんですよ。 大 !! 川 最初の企画としては。 大 歌入れは日本でやる予定だったんですか? 川 ええ、百恵が今まで結構仕事大変だったから、 レコーディングに立ち会うという事で 「一緒に遊びに行きなさいよ」っていうマネージャーの 粋な計らいだったんですよ。 大 レコーディングという名目で「遊びに行っておいで」という・・ 川 そう・・ 大 すごい・・! 川 要するに「カラオケ録る所に立ち会って、 自分で自由な時間遊んで来ていいよ」 っていう・・だから僕も基本的にはカラオケだけ録音して 帰ってくればいいはずだったんですよ。 そのつもりで一応アメリカ行ったんですけれども、 百恵と話しているうちに「やっぱり、歌入れたいよね。」って。 「じゃあ出来るところまでやろうか」っていう事があったんですね。 それからもう1つはこっちで事前に百恵の歌のデモ・テープを ちゃんとバンドで作って、アレンジも「こんな感じ」っていうイメージを作って、 全曲スタジオで録音してそれをアメリカに送って。 日本人のコーディネーターがいたんですけれど その人に頼んでアメリカのアレンジャーと ある程度打ち合わせしておいてもらって。 僕が一人だけレコーディングする1ヶ月前に 一週間くらいアメリカへ行ったんですよ。 それで打合せをして向こうのアレンジャーとそのコーディネーターと一緒に 「この曲はこういう感じ、この曲はこういうストリングスが入って・・」って かなり細かく綿密にアレンジして来たんですよ。 それで帰ってきて今度は百恵達を連れて一緒に行ったんですね。 そしてレコーディングで最初の音が出た時にずっと聴いてたら、 サビが無くなっているんですよ。 「ちょっと待って・・」と思って「この前あれだけ打ち合わせしたのにな・・」って。 それでアレンジャーに「これサビ抜けてるじゃないか」って言ったんですよ。 そしたらそのコーディネーターが「サビいらないからカットしろ」 って言ったって話になって。 大 サビいらない歌なんか・・(笑) 川 「馬鹿言ってんじゃないよ」ってなってね、 「ちょっとおまえ来い!」って言って、 陰で「冗談じゃないおまえ何考えてんだ」って、そしたらそのアレンジャーが 「だから言ったじゃない」みたいな雰囲気になってるんですよ、 アメリカ人だったんですけれども。 それで「他にもそういう曲あるのか」って言ったら「他にもある」って言うから 「それ全部元に戻してくれ」って言って 「そんな勝手に何でカットしたんだ」って言ったら 「これあんまりおもしろくないから」って、おもしろくないって・・・ もうとんでもない奴だったんですよ。 大 へぇ〜・・ |
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川 それでまぁそれは解決したんです、ちゃんとオーケストラ録って、 「じゃあ歌入れようか」っていう時に、 そのコーディネーターがホントに勘違いの多い奴で、 百恵が歌っている時に 「そこの歌い方違うよ」とかって平気でトーク・バック押しちゃうんですよ。 大 (爆笑) 川 それはもう何曲か録った後だったんですけれどね、 それで百恵ももう「歌いにくいんで川瀬さん何とかして下さい」って。 それでその人間に「おまえいい加減にしろよ」 「何か言いたい事あるんだったら俺に言え、 そしたら俺がちゃんと伝えるから」って。 そうしたらもう一回やっちゃたんですよね、 大 トーク・バックを使って? 川 トーク・バック押して・・それで 「もしもう一回やったら、このレコーディング中止するからな」 って言って・・それで3回目やったんですよ・・ それで「百恵もう出てきていいよ、もうレコーディング中止」って それで本当に終わっちゃったんですよ。 まぁそれまで録っておいた歌はそのまま生かしたんだけれども、 そうじゃない部分は日本に帰って来てから歌だけ入れ直したんですよ。 大 あ、そういう曲も中にはあるんですか・・ 川 そういう曲もあるんです。 ただ、最初は全部歌は日本でやる予定だったから、 僕の方で失敗だったとかそんな事はないんですけれども、 ただその部分があったんでね、 「もうおまえとは二度と仕事はしない」って帰りがけ 僕マスター・テープ持ってくるために編集しながら・・ その男も立ち会ってる訳ですよね、そこで喧嘩しながら編集してましたよ(笑)。 大 じゃあかなりこの時はご苦労なさったんですね・・ 川 この時はね・・ ただ皆でそのコーディネーターがいない時のレコーディングも たくさんやってましたから、それはそれですごくうまく行ってたし、 気持ちよく仕事は出来たんですけれどもね。 この間百恵と金塚さんと三人で食事したんですよ、 その時にものすごい「この時のレコーディングは楽しかったね〜」 って一生懸命話してましたから・・ 大 ああ、そうですか! 川 だから彼女自身には全然その・・ あまり変な想い出っていうのはないんですけれども・・ 大 それはよかったです・・。 このアルバムジャケットも百恵ちゃんの顔がまた写ってない 第2弾なんですけれどもね。 「L,A Blue」っていうこれ何て言うんですかね・・電飾・・? 川 「ネオン・サイン」ですね、ロス・アンゼルスの風景の空にネオン・サインで 「L,A blue momoe」ていうのがあるんですけれども。 これはちゃんとこういうネオン・サインを作ったんですよ。 大 はぁ〜 川 作って・・この写真を撮って・・終わって・・家にあります。 大 (爆)家にあるんだそうですよ! これは僕買った当時、書いてあるのか本当に撮っているのか 随分悩んだんですけれども。 裏を見るともうひとつサインがあるんですよね、「momoe yamaguchi」という これもネオン・サインで小さくしか印刷されていないですけれども。 これ川瀬さんのご自宅にあるんですか! 川 はい。もう・・これはどこかのタンスの上でホコリかぶってます(笑)。 今点くかどうかわからないですけれども。 大 へぇ〜・・・・・・。カフェに居るファンの方を僕は「ねっ!」って 合図してしまいましたけれども・・(笑) 川 お宝探偵団に出しちゃおうかな(笑) 大 出さないで下さい!まぁ出してみるのもいいかもしれないかな・・(笑) それではこのアルバムの中から1曲お届けしたいと思います、 79年の夏に発売されましたこちらもシングル曲は全く入らずロス・アンゼルスで 録音されたアルバムですけれども、この中から百恵ちゃんが作詩しました 「横須賀 恵」作詩の曲を聴いて下さい。「CRY FOR ME」 M 「CRY FOR ME」 ![]() |
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大 さて79年のアルバム「L,A Blue」から「CRY FOR ME」 横須賀 恵作詩、波多野 純※さんの作曲でお届けしましたけれども。 何かこのレコーディングの時はおもしろいエピソードがあったんですってね? 川 ええ、あの結局百恵が「楽しかったね」っていう印象は、 普段毎日の生活はホントに楽しかったんです、 1ヶ月近く一緒に居たじゃないですか。 金塚さんってものすごい頭いい人なんですけれども、 どっかボケーっと抜けてる所がすごくある人なんですよ、 これがまた魅力なんですけど。 ちょっと金塚さんってどういう人かって説明するとね、 そのレコーディングの時に料理とかやると、 ホテルとかで「明日はカレー作るからね」 って言って僕の部屋でちゃんとキッチン付きだったんで カレー料理するんですけれども。 「カレー作るから」って言った時は、 その日のうちに食べられると思うじゃないですか。 あの・・「ルー」じゃなくて、ちゃんと「スパイス」を全部すり潰して 作っちゃう人なんですよ。 大 なるほど・・はぁ〜っ 川 今お菓子の・・その片鱗っていうのがあるから・・ 要するに今日食べられるのかって期待すると、 明日なんですよね。ちゃんと煮込んで、僕の部屋で作っているんだけれども、 もうホテルじゅうにカレーの匂いが充満しちゃうんですよ。 大 (笑) 川 でもホントにおいしいカレーなんだよね。 どっかボケーっとしている感じっていうのが、これまたびっくりしたんですけど、 やっぱりロスで何かのショーを見たときに前座で腹話術をやっていて、 英語なんですけど。 僕達前から2、3番目のすごい前の席だったんで、 アメリカ人の腹話術師が目の前でやっていて、 声が本人が口閉じてても人形からじゃなくて 腹話術師の方から聞えてくるじゃないですか。 それじーっと見てて「川瀬さん、腹話術って人形が喋ってるんじゃないんだ・・」 って 言うんですよ(笑)。 大 !! 川 「いい年して何言ってんの・・そんな所で驚かないでよ」ってそういう人なんですよ。 大 へぇ〜 川 「血液型何型?」って聞いたら「C型!」とかいう人で・・。 大 (笑)おもしろい! 川 それで「C型なんか無いよ!」って言うと 「あるもん!だって私小学校の時そう言われたもん!」みたいな・・ 大 えっ!!本当に信じてるんですか?? 川 本当に信じてるの・・普通女の人だと血液型占いとか見るじゃないですか、 C型なんか無いじゃないですか! そういう事すら気にしない人なんですよ。 でもすっごい頭いい人なんですよ!でもなんかそういう人で・・。 「L、A Blue」のレコーディングの時に、たとえばスタジオって言っても 結構ハイウェイ乗っかって行くじゃないですか。 レンタカー借りて僕が車運転して行くんですけど、 百恵は後ろの席で・・一応タレントだからきちんと後ろに。 そして金塚さんが助手席乗っかって、 ずっと地図見ながらナビゲイターになってこう・・行くんですけど。 しばらく走ってて金塚さんの「そこで、そこ降りて・・」って 言った通りに行ってるのに、気がついたらNorthに行く所Southに行ってたり・・ もうとんでもないんですよ。 それで全然もう時間が間に合わなくなっちゃうって・・そしたら百恵が 「あの、私に地図下さい」って百恵が助手席に座って全部ナビゲイトし始めたら、 もう全部事細かにビッタリこう・・行くわけですよ! それで翌日からずーっと百恵が横でナビゲイトしてましたよ、 金塚さん後ろでなんかゆったり座ったりして・・(笑)。 大 なんかその方がぴったりハマる感じがしますね、想像しますと・・ 川 そう、そう・・(笑) 大 そんな楽しいレコーディングだったそうです。貴重なお話ありがとうございました。 |
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![]() 「AND NOW 波多野 純」 25AH-727 79 5/21(アナログ) ![]() |
大 このアルバムで「CRY FOR ME」を作曲なさった 「波多野 純」さんですが、 以前やっとアルバム「AND NOW」を見つけました。 長年どんな方なのか解らずとても知りたかった方なのですが、 プロデュースに川瀬さんのお名前があり、やはり・・と思いました。 79年5月発売の様ですが、直ぐに廃盤になってしまった様ですね。 全曲英語詞、というのに驚き、 サウンド的には当時の原田真二さん的だな〜と感じました。 「波多野 純」さんについて出会いや百恵への起用等のお話、 その後の活動等を教えて頂けませんでしょうか? 作品はこのアルバムだけでしょうか? 百恵ファンには謎の作曲者だと思います。 川 元々、作曲家として紹介されました。 本人はアーティストとして活動したかったのですが、 彼の父親が野菜や果物を扱う大きな会社を経営していたのですが 亡くなられたかなにかで急きょ、その会社を引き継ぐことになり レコーディングだけのアーティストになってしまいました。 その後も作家として何曲かを頼んだのですが家業が忙しくなった為 疎遠になってしまいました。 現在どうしているかはわかりません。 大 アレンジのBarry Fasmanさんの起用やプロフィールについても、 教えて頂けますでしょうか? 川 Barry Fasman氏に関してはコーディネーターの遠藤氏 (※「L,、A Blue」ロス録音の為に紹介されたL,Aでのコーディネーター) から紹介され、彼の作品などをチェックして決定しました。 |
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川瀬泰雄さんを迎えて Part 2![]() |
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